医療と農業の連携で予防医療に貢献
慶應義塾大学SFC研究所AOI・ラボ副代表 矢作尚久 政策・メディア研究科准教授
特別講演は、慶應義塾大学SFC研究所AOI・ラボの副代表である矢作尚久 政策・メディア研究科准教授にご登壇いただきました。「食と健康における情報流通の未来」と題して、医療情報の6次化の観点から見える可能性についてご講演いただきました。
矢作氏は「医療・健康を生活レベルで支援する環境を整えることが大切だ」と言います。今までの医療環境は、乳幼児から老後までにおける医療・福祉・健康・生活情報が、その都度で分断されていました。そのため、目の前にいる患者の状況を判断し最適解を導き出すためには多くの時間とコストを要します。また、僻地などの医療現場ではプロの判断が困難とされるなど問題点も多くあります。
これからの医療には、これまでの診断で得た自らの情報を再利用する仕組み作りが求められています。患者の治療に当たるには、まず状況把握、そして情報抽出作業、判断、治療、判断、治療評価のプロセスが必要です。プロが判断したこれらの的確情報を、常にどこにいても共有できる場を整えることが求められています。それらの情報を得ることで無駄な問診や判断ミスを軽減し、現状を観察する問診時間に充てることができます。また具体的な一例として、外来スクリーニング検査のほとんどを削減することも可能となると言います。
さらにIoTの活用によって、個人の健康情報をモニタリング・連携・活用による身体活動継続と健康増進支援も夢ではありません。モニタリングには、大きく3つレベルがあります。1つは、かかりつけ医や薬局などの地域レベル。2つは行政施設や医師会などの組織レベル。3つは、日々における個人の体調確認によるセルフモニタリングレベル。次世代医療ICT基盤を整えることで、身近な地域で個人の状況に応じた身体活動の継続を支援し、身体的・精神的・社会的健康を保つことに貢献します。
そして、データを元に栄養士や医師が予防医療を提案することもできるのです。患者に必要な栄養素や有用成分を含有量にした機能性野菜を、農業者と共に生産していくことも有用な手段となるでしょう。「最適な情報環境基盤を作りあげ、情報の安全、管理、運用をすることで、国民の健康管理に寄与したい」と、矢作氏は締めくくりました。
データに基づく戦略的経営で世界に挑む
慶應義塾大学SFC研究所AOI・ラボ代表 神成淳司 環境情報学部准教授
次に「農業データ連携基盤 (WAGRI)で、誰でも使えるICT農業」と題して、慶應義塾大学SFC研究所AOI・ラボ代表の神成淳司 環境情報学部准教授にご登壇いただきました。
神成氏は「データの力で日本の農業を元気に、誰もがどこでも必要情報を活用できる世界を作りたい。農業データ連携基盤の構築により農業の活性化、牽いては地域活性化により農業を魅力的な産業へ導きたい」と主張されました。
農業データ連携基盤の名称であるWAGRIは、農業データプラットフォームが、様々なデータやサービスを連環される「輪」になり、さまざまなコミュニティのさらなる調和を促す「和」となることで、農業分野にイノベーションを引き起こすことへの期待から生まれた造語(WA+AGRI)です。2017年8月に設立し、現在までに既に参加組織数は約80にもなります。年明けには100組織を越す見込みです。
WAGRI創設の狙いは、「ベンダーやメーカーの壁を越えて異なるシステム間のデータが連係し、活用を可能とすること」、「公的機関や研究機関が有する様々な情報をプラットフォーム上に集約し、整備・提供可能とすること」、「個々人のデータを共有可能としお互いの比較等を可能にすること」。
それらを可能とすることで、「ビッグデータを活用した経営改善・生産性の向上」、「篤農家の経験や勘とデータを融合した高品質生産の展開」、「気象データ等を活用した育成予測等安定供給」等を推進させる意向です。
WAGRIにより、営農計画の立案、精密農業の実現、データを活用した高品質生産、バリューチェーンの連結などが期待できます。ベンダーやメーカーの壁を越えて情報をプラットフォーム上に集約することで、日本の農業はさらなる成長産業として注目されるでしょう。
「情報の共有により協調領域を高めてコストを削減し、競争領域への経営資源の集中的投入をすべき時代である。いま、農業を取り巻く環境は大きく変化している。静岡を拠点に、日本の農業を牽引し世界へと発信していきたい」という神成氏。農業の未来を見据えた想いと、その実現性を語りました。
共創による新たなビジネスの可能性
続いて、パネルディスカッション「静岡農業のこれから」が行われました。司会は神成淳司准教授。登壇者は、三ケ日町農業協同組合代表理事組合長の後藤善一氏。NECソリューションイノベータ株式会社執行役員の島津秀雄氏。先に特別講演を行った矢作尚久准教授。理化学研究所光量子制御技術開発チームリーダーの和田智之氏。それぞれの専門分野から、熱い議論が交わされました。
NECソリューションイノベータ株式会社執行役員 島津秀雄氏
島津氏からは、農家の担い手不足解消への課題として、「土地利用型農業(米や小麦のように大規模を農業機械で行う作物)」と「労働集約型農業(野菜や果物のように機械化が困難な作物)」において、「省力化」、「共同による効率化」、「技術・技能の継承」が必要であるとの話がありました。その中で、静岡は「労働集約型農業」の割合が多く「技術・技能の継承」を進めていくことが重要な課題だと言います。そのため、AI(Agri-Infoscience)システムを核とした農芸品の新規栽培技術開発・継承事業を進めています。匠の技の産地内共有・技術継承による産地全体の品質の向上、新規就農者の栽培技術早期習得による経営の安定と地域定着を図り、既存生産者の生産力向上と新規就農の促進を目指します。IT技術を使って熟練農業者の暗黙知・身体知を「見える化」し「形式知」に変換し学習コンテンツ化するなど、三ケ日町「うんしゅうみかん」での実証が進められています。
三ケ日町農業協同組合代表理事組合長 後藤善一氏
後藤氏は、これからの農業は、「健康」「農」「食」これらの全てに関わることが大切だと言います。機能性を重視した健康食品と果物など嗜好品の重なる部分にある「新領域」を開拓していく意向です。農業者として作物を栽培するだけではなく、美味しく食べて健康になることまでをプロデュースしたい。そのためには、農業者だけでなく、異業種との協業が絶対に重要だと説きました。また三ケ日での成功を全国の産地へ広げ、みかん産業の向上に役立てたいと考えています。
矢作氏からは「健康」と「食」に対する、海外と日本の違いも話されました。海外でも栄養分析や機能性食品についての取り組みは進められていますが、日本人は加えて「美味しい」ものを食べたいという思いが強いと言います。「美味しい」という感覚は大事なことではあるが、個々の健康状態で適切な機能は体格や食事の方法などにより異なる。つまり何を食べてもいいわけではなく、個人の状態に適応した作物を取ってもらうことが必要になる。そのような作物をオーダーメードで生産し、新鮮なまま運搬できることなどが現在のITや、最新の生産技術を使うと実現可能となる。それは日本が作り出せる価値になるだろう、と語りました。
理化学研究所光量子制御技術開発チームリーダー 和田智之氏
和田氏は、そのような最先端の農業をサイエンスする現場を支えたいと話します。研究を支える中核的実験装置として、4種類の植物栽培システムを慶應義塾大学と共に開発し、導入しました。これは、温度・湿度 日照(光)などの環境要素をコントロールし、多様な環境での作物のテスト栽培を可能とする世界初の装置です。ゲノム編集技術などを用いた新品種の作物がどのように生育をしていくのか、どのような栽培環境が生育に適しているのかといった、環境因子による栽培過程の違いを把握することが可能となります。また作物の高機能化に適した環境条件の探索をすることで機能性成分の含有量を高め、健康維持・増進に寄与する作物の安定的な栽培手法の実現に貢献します。
これらの基盤となる技術をオープンにし、プラットフォームを構築することで、絶え間ないイノベーションが創出され好循環が形成されるでしょう。その一方で、情報つまり「知的財産」はイノベーションの源泉として権利関係を明確にし、無償で提供するものだけではなく、農業経営の戦略として活用し次世代に繋げていくものとして有償での提供も含めて活用方法を検討していくことが、静岡発のAOIフォーラムが推進する、新しい価値創造へとつながる事を期待して、神成氏は会を締めくくりました。
登壇者紹介
神成 淳司
慶應義塾大学 環境情報学部 准教授
内閣官房 情報通信技術(IT)総合戦略室長代理/副政府CIO
1996年、慶應義塾大学政策メディア研究科修士課程修了。2004年、岐阜大学大学院工学研究科後期博士課程修了、博士(工学)。2007年、慶應義塾大学環境情報学部専任講師、2010年より現職。同大学医学部准教授(兼担)。2014年より内閣官房情報通信技術(IT)総合戦略室長代理/副政府CIOを併任し、政府のIT総合戦略や農業情報創成・流通促進戦略、農業標準化ガイドラインなどの政府横断的な情報政策全般に関わる。AOI-PARCに拠点を構える慶應義塾大学SFC研究所 AOI・ラボの代表者であり、AOI機構の統括プロデューサーとしても活動している。近著に、『ITと熟練農家の技で稼ぐ AI農業』(日経BP社)がある。
矢作 尚久
慶應義塾大学 政策・メディア研究科准教授 1974年米国Palo Alto生まれ。1991年AFS交換プログラムでベルギーへ留学、 2000年 慶應義塾大学医学部卒業(MD)、2004年同大学院博士課程修了(Ph.D.)。 2009年 東京大学医療経営人材育成講座修了(首席)。2011年ハーバードビジネススクールMHDにScholarshipとして招聘され修了。その後、途上国への医 療マネジメントシステムの提供準備を開始。2012年全国の医療情報を統合可能とする世界初のClinical DataManagement Networkを設計し、2016年稼動。国立成育医療研究センターにて、開発薬事・プロジェクト管理部 臨床研究ネットワーク推進室 室長補佐 情報戦略担当、データ科学室 室長代理を経て現 職。内閣官房次世代医療ICT基盤協議会等構成員。慶應義塾大学SFC研究所 AOI・ラボの副代表である。
和田 智之
理化学研究所 光量子制御技術開発チームリーダー
東京理科大学大学院理学研究科物理学専攻修了、理学博士。科学技術庁基礎特別研究員、理化学研究所フォトダイナミクス研究センターフロンティア研究員、理化学研究所研究員、2014年より現職。理化学研究所光量子工学研究領域光量子基盤技術開発グループディレクター、光量子制御技術開発チームリーダー(兼)レーザー物理工学、レーザーと物質の非線形相互作用の研究に従事、また、近年では、環境計測、医療、農業、エネルギーといった社会課題の解決に向け基礎研究の成果の応用研究を推進している。
島津 秀雄
NECソリューションイノベータ株式会社執行役員(研究開発、農林水産事業担当)
1982年慶應義塾大学工学研究科電気工学専攻修士課程修了後、日本電気株式会社へ入社、中央研究所で第五世代コンピュータ、ナレッジマネジメント等の研究を遂行し、NECのコールセンターの情報武装化を推進。1987年から1年間、カリフォルニア大学UCLA人工知能研究室の客員研究員。2003年からNECシステムテクノロジー株式会社(現NECソリューションイノベータ)の研究所長として、インテリジェントロボット、情報セキュリティ、画像処理、農業分野へのICT適用の応用研究を遂行。現在は、特に農業産地の生産者集団の力を最大化するためのICTの研究開発を行い、国内各地で実証を進めている。2004年人工知能学会功労賞、2006年世界初のソムリエロボット開発で米Time誌Inventions 2006採択、ならびにギネスブック登録、2009年航空写真の画像処理技術で、米国人工知能学会(AAAI)のInnovative Application of AI Award。2011-2012年人工知能学会副会長。博士(政策・メディア)。
後藤 善一
三ケ日町農業協同組合代表理事組合長
1955年静岡県浜松市生まれ。日本大学経済学部卒業後、就農。「楽しく、儲かる農業を」を目指して、三ケ日町にてみかん園経営。就農時より作業の機械化・園地拡大に取り組む。平成11年第一回全国果樹・技術経営コンクールにて農林水産大臣賞受賞。現在の柑橘園地は8ヘクタール。農業経営は全て息子に任す。農協役員就任時から三ケ日ミカンブランド強化のための多様な取組みを続ける。